僕の亡くなったばあちゃん自慢をしたい

こんばんは、ちーも(@chihiro_ojima)です。

僕は先日こういったツイートをした。

「万引き家族」という映画を観ていて色々とばあちゃんを思い出してしまったのだ。

 

僕は両親が共働きであったので、近くのばあちゃん家によく預けられていたんだけど、色々なエピソードがあるから誇らしいものから、ツッコミどころ満載のエピソードまで勝手に紹介します!

ちーも
ちーも
いつもは「人の役にたつ情報が入った記事」をコンセプトにしているけど、、今回は本当にただの思い出話 笑 でも面白いとおもう。

腐ったうどん

うどん

さきほどのツイッターでもつぶやいているように祖母はお店をやっていて、お酒、タバコ、駄菓子から食品、日用品など色々なものが揃えてあった。

 

僕が小学生の頃に熱を出したら、だいたいは祖母宅に預けられて寝ていた。

 

熱にうなされ布団で眠りながら、「今頃みんなは授業中か〜」などと考えているとばあちゃんがお昼ご飯にうどんを持ってきてくれた。

 

ばあ「ちーくん、うどん作ったき食べや。」

僕「ありがとう。」

 

ずるずるずる〜(すする音)

 

僕「・・・・!!!!なんか臭い。」

ばあ「あ〜ばれたか、お店の棚の賞味期限切れたうどんやけどまだいけるかと思ってね〜 笑」(ケタケタ笑いながら)

 

僕「・・・・。」(絶句)

ちーも
ちーも
ばあちゃんに腐ったうどんを食わされた経験のある人はなかなかいないんじゃないだろうか。


昭和2年(1927年)生まれだからさ、戦中や戦後の食糧難を知っているからこそ食べ物を無駄にしない人だったという話しだよね。
ニューシネくん
ニューシネくん

私は熱でボーっとする頭で、ただただ腐ったうどんに絶句したのであった。

砂も栄養

バーベキュー

いつだったか、ばあちゃんの提案で親戚一同を集めてお店の裏の乾いた田んぼのスペースでバーベキューをやった。

 

その日はたくさんのお肉や、野菜を買ってきて、クーラーボックスにはお酒やジュースを入れて最高に楽しいバーベキューのひと時。

 

僕は肉の1つを落として、砂まみれにしてしまった。

それを見たばあちゃんはそれをヒョイと箸で拾い上げて、僕の口のところへ持ってきていった。

 

ばあ「砂も栄養!」

 

僕「・・・・!!」(絶句)

 

僕は砂まみれの肉をバリバリとほうばり、そして胃へと流し込んだのだった。

 

ちーも
ちーも
絶対さ・・・、砂に栄養無いよね。ね?

あるわけないだろ!
ニューシネくん
ニューシネくん

でも、このエピソードは僕の滑らない話しの1つとして生涯忘れることのできない宝物になっている。

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万引き少年に対しての一言

泥棒

ばあちゃんがやっていた小さな店の奥は畳の部屋で、そこにはテレビや、こたつなどがあり、ばあちゃんはよくテレビを見ながら居眠りをしていた。

 

つまり店主が奥で眠っていることが多かったから、近所の悪ガキから、遠方の悪ガキまでがよく万引きにきていた。

 

薄利多売の小さなお店で万引きをするということは、どれだけキツいことか今となってはわかるし、僕も子供ながらに悔しかったので、できる時は僕が店番をたまに手伝っていた。

 

ある時僕が奥の部屋にいると、店番をしていたばあちゃんが怒った声をあげた。

 

ばあ「こりゃ!!!!!泥棒したらいかんやろう!」

そっとみると高校生くらいの少年の腕を掴んでいる。その少年が持っていたのはタバコ1カートン。

 

少年「すみませんすみません、学校や親にはいわないでください。」

 

ばあちゃんはそのあと説教しまくって、その1カートンを少年にあげた後言った。

 

ばあ「盗むのはこれで最後にしろ!わかったか?!」

少年は泣きながら去っていった。

 

でも僕は今なら思う。

ちーも
ちーも
お菓子ならまだしも、子供にタバコあげたらいかんやろ。

・・・とね。

 

まぁこの話し以外にも何度も万引きにあって、捕まえる度に駄菓子もあげてたみたい。

 

あと何回もレジから現金をとられたり、大金を貯めていた金庫も盗まれてる。

 

ちーも
ちーも
何度ばあちゃんは傷ついたかわからないけど、弱音は全然吐かなかった。本当にすごい。

 

そして当たり前だけど、僕はそのばあちゃんをみてるから万引きをしたことない。考えたこともない。

 

盗まれる側の悲しみや苦しみを知っているからだ。

意識不明になったばあちゃん

病院

東京で音楽活動を始めた僕は長らく高知へ帰っていなかったが、ばあちゃんが倒れたと聞いた。

 

あれは何年前だろうか。

 

僕は3日後くらいに高知へと帰り、いそぎ病院へと向かった。

久しぶりに会う親戚のおじさんやおばさんに挨拶をしてすると、誰が何を話しかけても全然反応がないという話しだった。

 

ICU(集中治療室)に僕が入ると、チューブに繋がれ、呼吸器をあてられたばあちゃんが苦しそうな病状で横たわっていた。

 

久しぶりに会うばあちゃんがこんなになるとは。

あんなにパワフルなばあちゃんがこんなになるとは。

 

色々な考えがグルグルと頭の中で回ったままで、僕は手をばあちゃんの手を握った。

 

そして謝った。

 

僕「ごめんね、ごめんね、ばあちゃん。全然顔も見せにこないで、こんな時ばっかり帰ってきて、頭もこんなになってしまって。」(当時金髪)

 

その瞬間ばあちゃんの目がカッと開いて、呼吸器がついたままハッキリと言った。

 

ばあ「かまん!!!!」

※かまん・・・土佐弁で「大丈夫」とか「かまわない」という意味。

 

僕「!!!!!!!!」

看護師さん「!!!!!!!!!!!(病院へ運ばれてから)初めて言葉がでましたよ!!」

 

ちーも
ちーも
あれは嬉しかった。昔から孫の中で俺が一番好きぽかったからなぁ〜。
自分でいうなよ!
ニューシネくん
ニューシネくん

そして、結局その「かまん!!」という一言がばあちゃんの最後の言葉となってしまった。

僕はそのままとんぼ返りで東京へ帰ったから死に目には会えなかった。

兄は残って死に目に会い、葬式にも出た。

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お葬式

菊の花

実はぼくはばあちゃんのお葬式には出ていない。

 

父と相談し仕事もあるし、飛行機代も高いしばあちゃんとの会話はもう済んでいるから、今度帰る時に墓参りに行ってあげたらいいだろ。ということになったから。

 

まぁ今となっては行っておいたらよかったなぁと思ったけど、いつか僕が死んだら一緒にお酒飲めたらなと思ってる 笑

 

ばあちゃんならそんな小さいこと絶対気にせず、笑いながらお酒飲んでくれそう。

 

これから紹介するばあちゃんのお葬式の話しは兄に聞いて僕はとても感動した話です。

 

ばあちゃんの店は近所の子供たちがみんな集まってくる駄菓子屋だったから、ばあちゃんから叱られたりした子供も多いと思うんだけど、

 

ばあちゃんのお葬式には、僕らよりも一回り歳上の近所に住む元悪ガキの人たちもきてくれていてた。(当時僕はこの人達を怖いと思っていた 笑)

 

その人たちが棺の中のばあちゃんを見て声をあげながら泣いてたんだって。

兄貴もそれ見てすごい嬉しかったといっていた。

 

パワフルでおかしなばあちゃんだったけど、ばあちゃんの教育というか、在り方は僕らだけじゃなくて、たくさんの子供に受け継がれているんだなと思ってすごく嬉しくなった。

 

ばあちゃんの魂は死んでなんかいない。

店にきてくれていた人の心に少しずつ残っている。

ばあちゃんの生き方は間違っていなかったんだなって改めて思った。

 

僕はそのばあちゃんのお葬式の話を兄から聞いたとき思い出したネイティブ・アメリカンの格言があります。

 

今回はその格言を引用、紹介して最後にさせてもらいます。

 

あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

 

長文読んでくださってありがとうございました!

では、また。

ちーも
ちーも
余談だけどインディアンはネイティブ・アメリカンじゃなくてインディアンと呼ばないと彼らのアイデンティティが失われるという意見もあるようで、この表現の使い分けは僕的に難しいので今回はネイティブ・アメリカンにさせてもらいました。ばあちゃんエピソードはまだまだあるんだけど、またいつかバージョン2書こうかな 笑

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