こんばんは、ちーも(@chihiro_ojima)です。
このハイパーグローバル化の世の中で、アジア諸国から英語で大きく遅れを取っている日本。
英語が喋れないことでコンプレックスを感じてませんか?
僕も少しは感じます。
でも逆になぜ英語が喋れないのかを僕なりに調べたら、日本がいかにすごい国だったのか理解できましたのでご紹介できたらと思います。
この記事を読む前に前提としてお伝えしたいのですが、僕は外国人を憎んでいるわけでも、蔑んでいるわけではないです。
基本は僕自身の勝手な考えで述べているのでその点ご了承いただければ幸いです。
なぜアジア諸国において日本人だけ英語が喋れないのか
この記事を書こうと思ったきっかけは先日、モンゴル人たちとお酒を酌み交わした時に「なぜこんなに進んだ技術を持つ日本という国のあなたたちは英語を喋れないの?おかしくない?」と言われたこと。
モンゴル人はみんな英語が喋れるの?と聞くと、
モンゴル人を含めアジアで英語ができない人はほとんどいないよ!
と言っていたので僕なりの日本人が英語を喋れない理由を伝えた。
- 杉田玄白の解体新書が示すように、知識人たちによる精度の高い翻訳があったため、多くの日本人が自国の言語で高い知識を身につけられた(そもそも当時の日本の一般人の人々の識字率は世界でもトップクラス)
- 欧米列強の植民地にされなかった
- 日本の英語教育がテストの点数をとることが目的になり、本来のコミュニケーションとしてのツールの意味合いが薄かった
- 上記の理由から英語を喋る機会が少ない
これをもう少し詳しく下に書いていきたい。
「解体新書」にみる日本人の独自性
解体新書とはドイツの医学書をオランダ語訳で書かれた「ターヘル・アナトミア」を前野良沢が1771年に訳したものです。
実は杉田玄白はお医者さんでオランダ語は苦手、、というか読めない。
そもそも前野良沢自身も「ターヘル・アナトミア」の翻訳を始めたころはオランダ語の単語を100語程度読めるレベルだったらしい。
独学で暗号を解読するかのように翻訳を進め、血のにじむ思いで2年間かけて翻訳完了、そして1774年に刊行されます。
つまりオランダ語を知らない一般人でも、自国の言葉で世界最先端の医学書を学ぶことができたわけです。
ポイントは「自国の言葉で」という部分。
当時アジア諸国でそのような国はなかったし、そもそも識字率すらかなり低かったから、いかに日本人が努力家で賢かったかがわかります。
アジア諸国で唯一植民地にされていない
歴史を語るにあたって戦争の話は避けられないもの。
そして1945年からアメリカのGHQに占領されていたから、その占領から今現時点まで植民地じゃん!
という人もいるが一応植民地ではありません。
しかしアジア諸国は欧米列国にほとんど植民地にされており、自国語と英語を使うようになった。
南米の国のほとんどは公用語がポルトガル語とかスペイン語がメインなのは、スペイン人やポルトガル人による侵略により植民地化され、現地語ではなくスペイン語や、ポルトガル語を何世代にも渡って使わさせられたことで原住民はもともとの言語を失い、公用語がすり替わったからです。
それと同じことがアジア諸国でも行われた結果、英語が浸透したのですね。
いつか戦後の日本の教育に暗い影を落としたWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)のことも書きたいけど、、話それちゃうので今回は割愛。
【日本の教育の残念なとこ】英語が点数を取るためのものであったこと
最近の英語学習については随分変わってきてるんじゃないでしょうか。
タブレットやスマートフォンを使えばいつでも簡単にネイティブの喋りが聴けるし、意欲があればどんどん学習できる時代。
でも僕が子供のころの英語は、単語や文法を正しく暗記できるかどうかといったテストがメインだった。それは僕ら世代を含めた上の世代が日本人が英語を喋れない大きな理由だと思う。
でもそれがすべてじゃないはず。
正しいか正しくないかよりも、、本来はコミュニケーションのツールなわけだから、文法や単語が多少間違っていても、本来は伝わればいいはずなのに。
外国の人が頑張って日本語喋っていて、文法とか単語がおかしくても理解しようと努力しますし、表情やニュアンスも含めたら全然コミュニケーションとれますよね?
日本の英語教育はもっと文法や単語暗記に加えてもっとコミュニケーションを重要視した方がいい。コミニュケーションの楽しさを子供達に体感してもらうことが一番大切だとおもう!
【余談】英語ができないと最新の知識を得る際にタイムラグが生じる不幸、いやAIが解決してくれる!
日本は高等教育(大学や大学院)は日本語で学べるのってすごいって話しました。でもこれは今となっては逆に不幸なことかもしれない。
最新の知識、特に技術系は英語発信がメインです。
現段階でも日本人の知識者が海外の情報を翻訳したりと令和の杉田玄白はいて、さらにWebで発信してくれるでしょう。
でも以下のようにタイムラグが発生します。
- 英語できる人・・・英語で最新の知識を調べる → Webで発見
- 英語できない人・・・自国語で最新の知識を調べる →英語できる人が翻訳してあるのを見つける(情報を得るまでのステップが1つ多い)
というかそもそも翻訳されていない場合、その知識を得ることができません。
そして逆に自分からの情報の発信も英語じゃないからなかなか広まらない。
【結論】英語はできないよりできた方がいい。大切なことは楽しくコミュニケーションすること
僕は今まで外国人から日本人は英語を喋れないとバカにされたことが何度かあります。でもなぜ喋れないのかというと、その理由は1つ。
「先人たちの努力により英語を喋らなくても自国語で情報共有のできる高度な文化」を日本がもっているからです。アジア、アフリカ諸国は「英語に依存しないと完結できない文化」だからです。
それは多くの外国の人があまり理解してないし、日本人だってわかってない人が多い、そしてコンプレックスを抱く。
こういう話をしていると差別主義とか右翼と言われることがあるんだけど、日本に、自国に誇りを持つってすごい大切なこと。
英語がしゃべれないことにコンプレックスを感じる必要はなくて、歴史的背景を理解した上で、楽しく世界中の人とコミュニケーションができるように英語を学習すべきだと思います。
あ、これが兄のオススメ英語本です、中学英語ができたらこれ一冊あればどんな会話でもできるって豪語してました。
長文になってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました!
では、また。
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