こんばんは、ちーも(@chihiro_ojima)です。
2019年8月15日、本日は終戦記念日。
74年前の今日戦争は終わった。
僕の祖父は今年で92才、終戦時は18才になったばかり。
兵庫県で通信兵として軍隊に入っていたからあと数ヶ月戦争が長引いていたら祖父は死んでいたかもしれない。
そうなると、(当たり前だけど)母は生まれず、僕もいなかったことを考えると不思議な気持ちになる。
余談だけど祖父は74年前の今日、上官にこう言われたそう。
上官「戦争は終わらせない、これから上陸してくる米兵に玉砕攻撃をしかける!お前らも参加するな?」
祖父「もう戦争は嫌です、死にたくありません!!」(半泣き)
いつも殴られてばかりだったから、死ぬほど殴られると思っていた祖父は上官がただ一言「そうか。」と行って去っていくことに驚いたそう。
・・・・と話はそれましたが、現代を生きる僕たちは意外に戦争がなぜ起きたのかの原因を知る人は少ない。
歴史、こと戦争を語るに当たってその国だけでなく当時の世界情勢を知る必要があることは間違いない。
僕も僕の祖父も、平和を願っているのだけれど、現在でも世界中で紛争や戦争は未だに発生していて、平和とは程遠い。
だからこそ大東亜戦争(太平洋戦争)がなぜ発生したのか、できるだけシンプルに簡単に説明します!
当時当たり前だったアジア・アフリカへの植民地政策
ペリーが日本の浦賀にきたのは1853年、当時鎖国状態だった日本はペリーに開国を迫られます。
で、日本は鎖国状態だったので世界情勢を知らずペリーの黒船や、大砲に驚いて開国した・・・と思っている人多くないですか?
実はそれは間違いで、江戸幕府はかなり優秀だったので、1840年にイギリスと清(中国)との間で起こったアヘン戦争にて清がボコボコにやられたのを知っていた。
また、イギリスを始めとするヨーロッパの国々が産業革命後、原材料を確保するためにインドを含めほとんどすべてのアジアの国への植民地支配を広めていたことも知っていた。
これは大東亜戦争前の地図だけど、これ見るとよくわかりますよね。
地図でアフリカの国境の線をみてみてください。
あの国境の線こそ植民地支配のあとです。
20世紀初頭のアジア地図
地図引用ブログ:https://blogs.yahoo.co.jp/nobu_aidasort5694/4590901.html
ABCD包囲網で追い込まれる日本
引用URL:http://heiwa.yomitan.jp/4/3264.html
時は流れ(はしょって)幕末、明治維新を経て明治政府が作られました。
が、要するに白人たちによる有色人種への植民地支配は継続しており、日本も狙われる側であることに変わりなかったわけですね。
植民地支配を列強各国に狙われている清を先に獲らないと、日本的には明日は我が身なわけです。
そんなこんなで、満州事変や盧溝橋事件を起こし・・・まぁ日中戦争へと持ち込んでいく。
ただし日本って戦争するにも資源がなかった。
石油とかね、、色々と。
で、そういった物資を輸入していたのがアメリカ、イギリス、中国、オランダとかでその各国が日本に対して経済封鎖してきました。
その国々の頭文字をとってABCD包囲網っていいます。
・・・で、日本は困り果てて東南アジアへの南下し攻めることで、それらの資源を確保する道へと進みます。
アジアへの侵略とはいっても、その国々はほとんど白人に支配されていたので結果的には解放するような戦争になったわけです。
戦争に参加したかったアメリカが出した最後通牒「ハルノート」
日本が南下作戦で戦うのは、他ならないその植民地支配している国たち。
そして、北から虎視眈々と南下を狙っているロシア。
1番戦争をしたくない相手はアメリカ。
なのでアメリカのルーズベルト大統領はあくまで代理戦争として蒋介石に対して資金や物資援助をすることで、日本軍と戦うしかなった。
実はアメリカとは日本の撤退時期や、方法など色々な交渉を数ヶ月もしていたんだけど、ルーズベルトは応じず。
1941年11月についにハルノートを突きつけられる。
その意味は「無条件で中国大陸を撤退せよ!」というもの。
※台湾、朝鮮半島は含まれていません。
何度もいうけど、白人国家はさんざアジアやアフリカを植民地支配しているのに、日本にはそれを許さない・・・というより有色人種には許さないという強い意思表示がそこにはあったわけですね。
対米戦争、撤退かを迫られた日本は1番戦争を回避したかった真珠湾攻撃をしかけることとなります。
【まとめ】大東亜戦争はなぜ起こったのか
外交の手段の1つに戦争があるといいます。
国と国の交渉で、多くの一般人が殺しあう戦争は本当に恐ろしいし、本当に嫌。
二度とあってはいけないと思います。
余談だけど、祖父の弟は原爆投下時、広島にいたらしく投下の2日後くらいに祖父は弟を探すために広島へいった。
その時のめちゃくちゃに壊れた街、おびただしい数の死体の山を見て泣いた。ちなみに祖父の弟はまったくの無事で生きていたそう。
僕は終戦記念日は毎年、靖国神社に参拝しているけど、今年は台風で飛行機が飛ばなかったのでいけなかったので残念。
■大東亜戦争開始までの流れ〜まとめ〜
- 当時は白人国家によるアジア/アフリカへの植民地政策が盛んだった
- 鎖国している日本に対しても植民地化への圧力がついにきた
- 江戸幕府から明治政府へ、資源のない日本は戦争をせざるを得ず
- 日清戦争、日露戦争を勝ち、欧米列強へと肩を並べる
- 樺太、台湾、朝鮮半島などを持つことで、白人社会からやっかみを受ける
- ABCD包囲網にて日本は追い込まれる
- アメリカが無理やり参戦
- 資源を求めてアジアへ南下し侵略を開始
最後に戦後、開かれた極東裁判でのインド人のパール判事の言葉を引用して終わりたいと思います。
時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに
そのところを変えることを要求するであろう
今回はちょっと重たい内容になっちゃいましたね。
でも大事なことです。
僕の記事の時系列はちょっとずれていたりするかもしれませんが、芯は捉えていると思います←
世界が平和でありますように!
あと日本の自虐的な歴史観を持っている人がいたら、先祖を誇りに思ってほしい。
では、また!
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