小学生6年間の夏休みの中で具体的に覚えている一日なんて何一つない……、と言いたい所だがたった一つだけある。
僕の小学校2年の夏休みの最終日だけは別で、未だに容易に思い出すことができるのだ。
小学2年の夏休み最後の日、ダラダラしている僕と兄に向かって父が言った。
「おい、旅行に行こうか。」
僕と兄は「え、今日で夏休み最後やん、無理やろ。」と言った。
「旅行っていうても、歩く旅行、徒歩旅行よ。」
両親ともに公務員だったので家庭が貧しかったわけでもないのだが、自分自身が大人になった今だからこそより感じる。父は変わり者だ。
続けて父はこう言った。
「2人はこの夏休み、なんか記憶に残ることあったかや?ラジオ体操行ったり、じいちゃん家行って川で泳いだり、海行ったりしたやろ?でも大人になって思い出せるのは今日の徒歩旅行だけやと思うで?」
鶴の一声だった。
その日わざわざ須崎市から車で高知市内まで向かい、わざわざ実家の須崎市まで歩いて戻るのだ。
そこに計画性など無い。(多分)
山道で坂も多いし何より距離は約30キロ。僕が小学2年、兄が4年である。
未だに小学校低学年が歩ける距離じゃないだろ、と思うけど、そんなこんなで家族での徒歩旅行が始まった。
高知から須崎まで海沿いをひたすら歩いた。
母親はポイント毎に車で先回りしつつ飲み物なんかを用意して待ってた。
暑くて暑くて、足も痛くて、どれだけ歩いたのかわからないけど僕はリタイヤした。
途中から僕は母親と車で先回りして兄と父の到着を待った。
家に着いたのは何時だったのかわからないけど、すっかり日が暮れており父親はビールを飲みながらニュースを見出した。
僕と兄はすぐにでも布団に倒れ込み寝たかったのだが、なんとかシャワーを浴びてその後は泥ののように眠りについた。
そういえばシャワーを浴びている時に痛くて痛くて足の指の爪を見たら全部紫になっていた。
歩くと痛くて2学期の始まりがすごく辛かった。
あの日の写真はまだ実家にあって、どのタイミングかはわからないけど、わんぱく小僧な兄におぶさったチビの僕と、まだ髪が黒く皺の少ない父とがピースしている。
思い出は美化されるなんて言われるけど、確かにその通りで僕が歳をとればとるほどに美化の程度は強くなるのだろうか。
もう一回やりたいかと言われたらもう懲り懲りだけれど、あの日の記憶は30を超えた今もまだ鮮明に頭の中に残っている。
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