ちーモのてくてく歩こうブログ~tech-tech-walking~

当初はtech(技術者)とてくてく歩くをかけたテクニカルブログだった雑記ブログです。

「私達友達に戻りましょう。」そう言った彼女は少ない荷物を持って部屋を出た。

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先々月の末、僕は不確定性への移行(ブロガー、という訳でもないけど文章を書いて生きていきたい)の旨を彼女に伝えた。

 

少しなら貯金もあるから今やってる仕事も辞めて、1人暮らしの安い部屋へ移ってあらゆる固定費を節約・削減し文章を沢山書きたいと説明した。

 

それに当たり彼女は「初めてやりたいことが見つかったのなら、良かった。」そう言っていた。

 

その夜彼女は同じベッドの上で僕に背を向けてすすり泣いていた。

 

僕も胸を締め付けられるような感覚に陥ったけど、僕が言い出した事だし、僕はそれでも僕で在りたいと思った。

 

心の中で彼女に自分勝手でごめんなと言った。

 

 

僕は胸の辺りにある締め付けられる感覚と、未来への不安、そしてワクワク、それらが入り混じったモヤモヤをジッと観察した。

ただただ思考を働かせずに観察した。

ヴィッパサナー瞑想は観察の瞑想だ。

 

引っ越しの前日、僕は自分の荷物をまとめつつ、部屋を掃除していた。

彼女は旅行鞄二つ分程度の荷物を持って部屋を出て、外側からドアノブを握ったままで「私達友達に戻りましょう。」と言った。

 

その後も何か言葉を続けていたけれど、僕はそれが何の言葉なのかわからなくなった。

本当に理解できないというか、頭が真っ暗になった。

 

僕はふり絞るように「今までありがとう…。」とだけ伝えた。

 

手を振り彼女は去った。

バタンと無機質なドアの閉まる音が部屋に響いた。

 

その夜は彼女と暮らした3年間を考えながらあらゆる部屋の壁の汚れや、トイレ、お風呂、クローゼットの棚などを拭いた。

 

動いてないとネガティブが襲ってくる気がして、とにかく掃除した。

 

お葬式に似てるなと思った。

お葬式は生きてる人間に対しての儀式だと聞いたことがある。

人が亡くなると故人の家族、近しい人は悲しくて日常になかなか戻れなくなる。

でもお葬式があれば準備やらなんやらでバタバタする。そのバタバタで悲しみなど感じる隙間を与えずにいられる。

一通り終わったらでかい悲しみは過ぎ去っているらしい。僕にとってのこの掃除はそういう儀式だったのだ。

 

これは失恋でもなんでもない。

2人の人間が好きになって一緒に暮らして結婚だって夢みてたけれど、3年の時間がお互いの生き方を変えてしまったんだ。(彼女だって随分変わった)

 

変化も進化も全部受け入れてこそ夫婦たり得るのかもしれない。僕らはそうじゃなかっただけ。

 

 

これは決して失恋なんかじゃない。

 

 

これからの彼女が素晴らしく幸せになる未来を僕は願う。

 

僕はこれからワクワクに対して忠実に生きるから、これから先何処かで人生の軸が交差したら、笑いあって話しができたらいいなと思った。

 

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